行ってはいけない同志社大学社会学部メディア学科(その4)

◎小黒教授の教室でのフリスビー・テニスボール投擲事件
同大クレームコミッティは学生の告発を門前払い
偽装公募で同大メディア学科教授になった小黒純氏

約5年前、私を解雇に追い込んだ渡辺武達グループ(週刊文春確定判決で、2014年設立と認定)工作員の小黒純・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授(2013年から前期課程教授、15年から後期課程教授)は偽装公募で2012年4月に龍谷大学から移籍してきました。山口功二教授(12年3月に70歳で定年退職し、名誉教授)という渡辺氏に頭の上がらない「ジャーナリズム史」「メディア史」担当の教授の後任補充人事で、メディア史とは全く無関係の小黒氏が不正な手段で採用されたのです。

2011年6月から始まった公募では108人の応募がありました。プライバシー保護のため、リストは開示できませんが、応募者はそうそうたるメンバーです。同大では70歳まで教授職を続けられるため、メディア学を専攻する50~60歳代の国公立大学の有名教授の多数応募していました。治安維持法研究の第一人者、明治・大正時代の雑誌研究の権威もいました。30歳代から40歳代の業績のある博士学位を持つ研究者も希望していました。全国紙で新聞の歴史に関する著書のある記者も応募していました。同大メディア学科が採用しなった当時の応募者の多くが、その後、同大の他学部、早稲田大学、立命館大学などに専任教員として採用されています。

普通に考えたら、博士学位がなく博論の主査として審査した経験のない小黒氏が選ばれるはずがありません。ところが、当時、メディア学科の「窓口」(学科責任者)だった渡辺グループの若頭、河﨑吉紀准教授(今は大学院博士後期課程教授らしい)が12年9月末の公募人事の審理中に、「自分が山口先生のメディア史などの科目をすべて担当する」と言いだして、竹内長武、佐伯順子両教授が「それならメディア史の研究者でもなくてもいい」「メディア学ならだれでもいい」と言いだして、小黒氏に決まったのです。

15年前、河﨑氏が採用されたのも、「同大新聞学専攻」出身という縁故人事でした。河﨑氏は私のもとで博士学位(新聞学)を取得し、他大学で非常勤講師をしていましたが、専任教員の公募では、一次選考で外れていました。河﨑氏は、当時、私を追放しようとしていた渡辺グループに、「反浅野」になることを誓約して採用されました。私が在職していた10年間、河﨑ゼミを希望する学生は毎年、ゼロから数人でした。1年生は毎年ゼロでした。

大学の教員に応募する時には、所定の書式で履歴書・業績書を作成し、代表的な著書を送るなどの作業が必要です。山口氏の後任の人事で文科省関係のサイトなどで公募しておきながら、公募の締め切り後に、「メディア学なら誰でもいい」と変えたのは、すべての応募者を裏切る不正行為です。私は、当時、この選考課程について何度も抗議し、「もし、メディア史の教員に限らないなら、再公募をしないとアンフェアだ」と主張しましたが、無視されました。私を除く教員たちは、私を外した談合で、小黒氏を採用することを決めていたのです。

龍谷大学で大学院教授にもなっていた小黒氏が、なぜ同大に来る必要があったのでしょうか。小黒氏が来なければ、前途有望な若い学者が専任教員になれたのです。

余りにも“軽い”小黒教授は教室でフリスビーなど投擲

小黒氏が12年4月に赴任してから、彼の言動があまりに軽薄であることに呆れていました。ジャーナリストとしても、研究者としても、違和感がありました。人当たりはよく、上司には評判がいいでしょう。どうして、三井物産にそのままいなかったのだろうかと感じていました。

小黒教授の大教室でのフリスビーと硬式テニスボールの投擲事件があったのは、彼が赴任して1年後の13年4月から5月のことでした。

2015年3月に同志社大学を卒業した元学生が15年11月10日、私の地位確認裁判=平成26年(ワ)第310号地位確認請求事件、被告・学校法人同志社)の京都地方裁判所へ提出した陳述書から引用します。彼は私の大学への復帰を求める署名活動をしていました。彼の陳述書の後半に、フリスビー事件で、当時のメディア学科学生が大学のクレームコミッティ制度を使って通報したことが書かれています。クレームコミッティ制度は「受講している科目の授業内容や授業方法に関する改善の要望がある場合は、所属学部・研究科事務室または教務事務センター(京田辺)に相談」できるという制度です。
https://www.doshisha.ac.jp/news/2012/0914/news-detail-336.html
陳述書の中にある氏名を匿名にしました。

〔 被告側は最初、「原告がいなくなって困っている学生はいない」という趣旨の主張していました。しかし、法学部や政策学部など他学部の学生が原告の嘱託講師任用を求める要望書に署名したので「メディア学科の学生に原告がいなくて困って抗議の声をあげている学生は一人もいない」と言い換えたようです。しかし、その主張も根拠を失います。数人のメディア学科学生が、原告の授業の再開を求めて署名しているのです。
そもそも学生、とりわけメディア学科の学生は「困っていない」から何も言わなかったというよりも、「原告が必要だ」と言えば、原告を追放した教員からにらまれることを恐れ黙っていたと思われます。かつて原告の元ゼミ生(13年度3年生、13人)は原告と敵対する教授らのゼミに振り分けられてしまいました。原告の裁判を支援している事が教授たちにわかったら、どのような嫌がらせを受けるかわかりません。
原告から大学院の博士前期・後期課程で4年間指導を受けた矢内真理子氏は「浅野先生を追放した冨田研究科長と教授5人は、20年も教授である浅野先生にこんなひどいことをしたのだから、何の力もない一学生に何をするか分からない」とおびえていたと聞いています。教授たちには、それこそ単位を「人質」に原告を支援する学生を脅すこともできるはずです。学生と渡辺教授および冨田研究科長らとの間には、明らかに権力の不均衡があります。もし学生が表面上は「困っていない」と言ったとしても、内心は違う可能性があります。
 一部の学生には日和見主義者もいます。原告のかつての「教え子」の一人で今は原告から離れた被告側の矢内氏がそうです。矢内氏は原告と共著を出したり、原告のゼミが主催する講演会を取りまとめたりするなど原告の大きな支援者でした。また2013年10月29日には原告のゼミ生らと「浅野先生を守る会」を結成し、会長になりました。ところが矢内氏は2013年12月19日以降、原告とのつながりを完全に断ち切り、原告と敵対する冨田研究科長、メディア学専攻の渡辺武達・小黒純・竹内長・佐伯順子・池田謙一各教授らの側につきました。
渡辺教授の最終講義で司会を務めた小黒教授は、2013年10月30日、メディア学科会議が開かれた新町キャンパス渓水館一階のメディア学科資料室(109号室)前で、矢内氏が原告を大学にとどめるよう求める要望書を小黒教授に提出しようとしたとき「学生は涙を見せれば何とでもなると思っているのか」と言って要望書を床に投げた人物です。他にも小黒教授は2014年1月、公式の次年度ゼミ説明会で学生に対して「私の3・4年ゼミは部活・サークル活動、バイトで疲れたみなさんの癒しの場にしてほしい」などと発言しています。小黒教授は2013年春期の講義中に硬式テニスボール、フリスビーを教室に持ち込み、受講生に向けて投げて、学生が軽いけがをしています。教室でボール等を投げてはいけないということは小学生でもわかることではないでしょうか。それを大の大人がやっているのがまったく呆れてなりません。履修の学生たちが社会学部のクレームコミッティ(学部長と学部主任で構成する主任会と同一メンバーで構成、小黒教授は当時、メディア学科主任)に苦情を申し立てたのですが、コミッティーは学生の訴えを却下しています。また、渡辺教授と親しい社会学部メディア学科の河崎吉紀准教授はゼミ説明会で「ゼミでは本をみんなで読むが、メディア学関係の本は読まない」と話しています。
14年4月から、矢内氏の指導教授になった竹内教授は「ジャーナリズムは専門外で全く分からない」と言っている漫画論の教員です。そのような人物の側に付き、「博士論文の指導を受ける」と言う矢内氏の人間性が疑われます。また矢内氏は原告を誹謗中傷する虚偽情報を原告の元ゼミ生、支援者たちに流し、元ゼミ生たちが原告を支援しないように仕向けました。
 現在、矢内氏は被告側から「原告がいなくても困っていない」と主張しているようですが、矢内氏の過去の言動を見て、矢内氏の主張は信ぴょう性に欠けるものです。
 なお、13年度の1年生6人は13年8月9日、〈授業について改善を求める学生たちの意見〉をまとめ、大学として現状を調査し、改善策をとるように求める文書をクレームコミッティに提出しています。意見書は①1年生から専任教員のゼミ(FYS)に入ることで、知識と専門性を得ることができるが、ゼミごとに学ぶ内容が大きく異なるため、学生たちは、ある面について特に豊富な知識と専門性を得られるが、他の面についてはそれらが乏しい②学部の5学科の中で、メディア学科だけはオリエンテーション合宿がない③メディア学科の専門科目が不十分であり実践的な科目もほしい④「広告論」が休講しているという事態はおかしい⑤「ゼミの授業に出席さえしてくれれば単位がとれる」という風にゼミ紹介の時に教授が発言するなど熱意の感じられない教授がいる⑥テレビニュースを録画するための施設、新聞や映像を編集するための設備をつくってほしい―などを要求しています。クレームコミッティはこの要求書を無視したそうです。これも大学側が学生を軽視する側面のひとつです。 〕

元学生がメディア学科の酷い実態を裁判所に報告

また、2016年3月に卒業した元学生は16年3月10日に京都地方裁判所へ出した陳述書で次のように書いています。

〔 原告は報道被害や冤罪に苦しむ人たちに寄り添いその著書や行動で彼らを支援してきました。原告の存在は同志社大学の犯罪被害者支援のネットワークに加え、報道被害者支援という新しい重要なネットワークをつくりあげました。原告は同志社大学になくてはならない存在であると確信しております。
 実際原告がいなくなったことによる被害は甚大です。現にかつての原告のゼミの学生で同志社大学グローバルスタディーズ研究科(大学院であり学部ではない)で開講されている授業(朝日新聞の現役記者がテーマごとに出張講義する)に聴講というかたちで参加している学生もいました。この学生は原告のゼミや授業がなくなってからこの授業に参加したのであり、このことは原告がいなくなったことによりメディア学科内でジャーナリストを養成する場所が失われたことを端的に示しています。この授業の開講責任者である教授は社会思想や政治思想を専門としており、ジャーナリズムを専門とはしていないことを付言しておきます。
またこの学生はメディア学の教授である小黒純教授が授業中フリスビーと硬式テニスボールを投げて学生の筆箱を破損したことに関して学内のクレームコミッティ制度を利用して是正措置を求めたところ、社会学部のクレームコミッティは13年10月1日却下したそうです。小黒教授は2013年度の社会学部の学部主任を務めておりクレームコミッティのメンバーの一人でした。被告人が裁判官をしているようなもので全く機能していないとみるべきでしょう。この学生はこの件があったがために原告が小黒教授から睨まれ、定年延長が妨害されることになったのではないかと真剣に心配していました。
そもそも同志社のキャンパス内の校庭では、キャッチボールなどをすることも禁止されています。教授が行えば、おとがめなしなのでしょうか。
この件に関し、クレームコミッティに提出したこの学生の文章を許可を得て引用します。
< 2013年8月23日
◆講義中のボール投げなどについて―同志社大学クレームコミッティへ訴え
 社会学部メディア学科の小黒純教授の2013年春期講義中における危険な行為について大学にお伝えします。大学として、十分な調査を行い、改善策をとっていただきたいと思います。
2013年4月9日(火曜日) 3限目に、新町キャンパスR301教室にて行われた「メディア社会論」の講義(約250人)において、メディア学科の小黒教授は、かばんからフリスビーと硬式テニスボールを出し、それを教壇から、最後方の席に座る生徒に向かって投げるということをしました。授業の前半でした。
教授はあらかじめフリスビーとテニスボールを用意していたようで、意図はわかりませんが一番後ろにいた学生に立つように頼んで、「受け取ってもらえませんか」と言いました。
 小黒教授が何を意図してそのような行為に至ったのかは、教授自身の説明を聞く限りでもよくわからなかったのですが、200人以上の学生がいる教室内において、フリスビーと硬式テニスボールといったものを投げるというのは非常に危険な行為であることは間違いありません。また、小黒教授が投じたフリスビーとテニスボールは共に教室の最後方に届くどころか教室半ばで失速しました。その結果、私の友人は筆箱を破損されましたし、他にも間近に飛んできて恐怖を覚えたという学生も何人かいます。
 今回、私の知る限り怪我をした学生は、幸いいないようですが、フリスビーや硬式テニスボールのようなものは、当たり所が悪かった場合、たとえば眼球に傷を負う、口の中を切る、歯を折るなど、怪我を負うケースを挙げると枚挙にいとまがないと思います。
 危険なため、同志社のキャンパス内の校庭では、キャッチボールなどをすることも禁止されています。
自分が在籍するメディア学科に在籍する教授がこのような行為におよんだことは非常に残念ですし、小黒教授が今後も変わらぬ意識で教鞭をふるっていくことには疑問を持たざるを得ません。
小黒教授が授業の際にとったアンケートにこの件について指摘した友人もいますが、教授からの反応は皆無のようです。
メディア学科、あるいは同志社大学全体の講義の質を向上させるためにも、大学側から事情聴取を行うなどしてしかるべき対策をとっていただければと思います。信じられないようなことですが、これは事実です。メディア学科の2年次生の多くが履修し、メディアに関心のある他学部・他学科の学生もとっている講義で、全体の人数も多いクラスでしたので、小黒教授による一連の危険な行動を目撃していた学生は多くいるはずです。しかるべき対応をお願いいたします]
(3人の姓名、学籍番号、社会学部メディア学科2年)
(代表の者連絡先、姓名、電話番号、メールアドレス) >
 原告はメディア学科の教育環境の改善を求めて、学生たちの声をよく聞いていたと学科の学生から聞いています。メディア学科では、他の学科にある新入生歓迎合宿がなく、保護者からも苦情が出ていました。専門科目にバラエティが欠け、メディア現場のことを学ぶ機会が少ないなどの不安もよく聞きました。メディア学科の教員たちは月曜、火曜に出講するのを嫌がり、他大学で非常勤講師を務めていることもあり、授業が火曜から木曜に集中し、専攻・学科の専任教員のクラスが三つも重なっている場合がありました。原告だけが金曜日にクラスを入れていたと聞いています。
 13年8月にはメディア学科の1年生がクレーム・コミッティへ学科の改革を求めて文書を出しています。
<                            2013年8月9日
◆クレーム・コミッティへの問題提起
 メディア学科の1年生の中で、授業について改善を求める学生たちの意見を私たち6人がまとめました。この6人の他にも現在のメディア学科の授業について改善を求める学生が多くいます。大学として現状を調査し、改善策をとっていただきたいと思います。
【FYSについて】
学生が1年生から専任教員のゼミ(FYS)に入ることで、知識と専門性を得ることができるのは事実である。しかし、ゼミごとに学ぶ内容が大きく異なるため、学生たちは、ある面について特に豊富な知識と専門性を得られるが、他の面についてはそれらが乏しい。
また、メディア学科の1年は、大学での研究の基礎という、これからの大学4年間の勉学に必ず必要となる基本的な知識を得る重要な期間であり、みんなが、同じ内容(情報の入手方法、パワーポイントの作成の仕方、プレゼンの仕方、依頼文の書き方など)を学ぶ期間であるべきというのが私たちの見解である。
現状においては、完全に個々の教員の裁量によるFYSと化しているため、一部の教授のゼミの学生は、学ぶ機会や意欲、将来の可能性が失われている。
 したがって、入学してすぐにゼミを選択して、学生をゼミで分けてしまうのではなく、全体が同じような学びをすべきである。春学期のFYSは少人数クラスにわけるにしても、メディア学科全体で行い、すべての先生からの講義を受け、マスメディアで働く方の講話を聞き、見学に行くなどすべきではないか。
 もしくは、社会学部の他の学科や政策学部の政策学入門の講義を参考にした講義を設けていただきたい。政策学入門では、15回の講義で15人の政策学部の教授が自身の専門分野についての導入や概要を説明する。そして学生がそれぞれ興味を抱いた分野を研究する教授のゼミを選択する。社会学部の他の学科と同様にメディア学科においても教授の研究分野について学生が詳しく知る機会を設けた上でゼミの選択がなされるべきである。
以上の理由より、1年次の春学期の間にメディア学科の教授全員について学生が知った上で、秋または2年次からゼミを選択できるように改めるべきである。
【メディア学科に新歓合宿がないことについて】
 新入生が入学した春にメディア学科だけのオリエンテーション合宿がないのはおかしいと思う。同じ授業料を支払っているのでぜひ実行していただきたい。理由は2つある。
 1つ目。メディア学科は他の学科と比べても人数の少ない学科であるため、全員と交流を深めやすいという利点があるにも関わらず、1回生のうちからゼミに分けられてしまい、ゼミの間でしか交流を深めることができていないという現状があるためである。
 2つ目。入学して2日目で、まだ「ゼミ」という概念も理解しないうちにゼミを選択しなければならないためである。わたしたちは入学してすぐにゼミを選択したため、他のゼミの雰囲気や学習している内容などを深く知る時間も機会も与えられていない。またゼミによって人数にもばらつきがあり、それも平等な学びとは言えないのではないだろうか。ゼミを越えて交流することが、以後のよりよい学習にもつながり、学科全体の学びのためにもよいと考えるためである。
 メディア学科の、1回生からのゼミ制度、少人数学科という利点をうまく利用して、合宿を行うべきだと考える。
【メディア学科の授業について】
 メディア学科の専門科目が不十分である。1年生からもう少しマスメディアに関する科目をとれるようにしてほしい。
 まず、「広告論」が休講しているという事態はおかしい。「広告に関して学びたい」という、学生の学びたい需要があるのに、学びの場を学校側が提供しないというのは不当であり、嘱託講師を探すべきではないだろうか。
 また、他大学に比べて専門科目が少ないという現状がある。立命館大学産業社会学部のメディア専攻には「ニュース論」「メディアリテラシー論」「映像表現論」などがあり、関西大学社会学部マス・コミュニケーション学専攻の「メディアと音楽」「広告クリエイティブ論」、早稲田大学の「ドキュメンタリー映画論」など、他大学の良い授業を同志社大学にも取り入れるべきだと考える。「アカデミック・ライティング」「出版論」「メディア社会調査」などの科目も学びたい。実践的な科目もほしい。
メディア業界を目指す学生が多く集まる同志社大学社会学部メディア学科が、「メディアについて勉強するならぜったいにあそこしかない!」と日本の学生に指示されるような学科になってほしいとわたしたちは思う。そのためには、多様で豊富な授業が求められるのではないだろうか。他大学が行っているように、メディア業界のあらゆるシーンに精通している方を嘱託講師としてお招きして、学生が様々な学びの機会を得られるようにするべきである。
他大学や本学他学部にある集中講義も検討してほしい。東京のマスメディア現場で活躍している人たちを招いてほしい。
 【メディア学科の教員について】
 熱意の感じられない教授がいると感じる。「ゼミの授業に出席さえしてくれれば単位がとれる」という風にゼミ紹介の時に教授が発言したことは恥ずべきなのではないだろうか。熱意のない教授の下には勉強する意欲のない学生が集まり、結局なんの実にもならない授業となるだけである。勉強したいという意欲をもって入学してきた学生たちはこのような授業に愕然としている。一般教養科目ももちろんだが、専門・必修科目こそ、教員学生ともに意欲的に取り組むべきなのではないだろうか。意欲ある教授の下には意欲ある学生が集まり、結果として授業の質が高まる、授業の質が高まれば学校の質も高まる。意欲のある教授が、学生にとって良い大学の必要条件なのではないだろうか。
【メディア学科の研究施設について】
 メディア学科では、実践的な学問を行うための設備がない。たとえば、テレビニュースを録画するための施設、新聞や映像を編集するための設備を作って欲しい。社会福祉学科には渓水館の一階に学生のための施設がある。このような施設ができれば、学生の研究の質も高まるはずである。
同志社大学社会学部メディア学科1回生
(代表者の学籍番号、姓名)
(賛同者5人の姓名=メディア学科1年生)
(代表者の連絡先;電話番号、PCアドレス、携帯アドレス、住所) >
 
このほか、メディア学科では2011年ごろから、学生たちが教員スタッフに学科の教育環境の改善を求めています。   
            
上述のように原告の所属する学部・学科ではない私のような学生も原告の支援をしにくい現状があります。原告がいる大学院社会学研究科メディア学専攻、大学社会学部メディア学科の学生たちは、原告を敵視し、追放した教員たちのゼミに所属しています。
原告が最後に教壇に立っていた2013年度に1年生だった女子学生は、家族の事情で、アルバイトで学費、生活費を稼いでいる苦学生ですが、2年生から原告のゼミに入り、将来は院に進み、研究者になりたいと思っていました。原告の1年生ゼミの内容を友人から聞いてそう決めていたのです。原告が大学からいなくなった後も、新しい指導教授に分からないように、原告に会っています。その場に同席したことがありますが、「浅野先生の下でジャーナリズム学を学びたかった」と言っていました。
原告の解雇が決まり、裁判に訴える時、原告は京都の裁判所にある司法記者クラブで2回会見しています。その時に、同席して記者たちに大学の定年延長拒否が理不尽だと訴えた当時の浅野ゼミ2年生の男子学生は大学院進学希望者でしたが、「同志社とは縁を切る」と言って、近畿の国立大学の大学院社会学研究科にこの4月入学します。「浅野先生がいないので、他大学を選んだ」と話しています。
本裁判で被告側は、原告がいなくなったことについて、メディア学科・専攻の学生の中にそれに対し抗議する学生はいないと主張しているようですが、学生たちが抗議の声を挙げられない「言論、表現の不自由」があるのではないでしょうか。現在全国的に大学の学費は高騰しており、私立大学である同志社大学も例外でありません。就職難でもある現状の中、表だって原告への支援活動に参加した場合に想定されるリスク(学部学科内で孤立するのではないだろうか、学部学科の単位はちゃんと取得できるのだろうか、就職活動の際、新しく配属されたゼミの教員やそのOG・OB等から支援を受けることができるだろうか等様々な想定がある)は非常に大きいであろうことは容易に推定できるのではないかと思います。大学内において教員と学生は対等であるべきです。これがことさら強調されるのは、実際には教員と学生との間には学識や社会的な影響力、世間知、経済力における圧倒的な格差があるゆえに、学生にたいしては最大限の配慮が求められるのです。被告学校法人同志社はその配慮をしなかったばかりか、自ら蹂躙したのだと思います。
それでも、私たち学生有志(まとめ役は他学部学生)が呼び掛けた原告の教壇復帰を求める要望書に、メディア学科の4年生1人、3年生2人が署名してくれています。「一人もいない」は事実に反しています。そもそも、被告の学校法人同志社はメディア学科・専攻の学生に、原告がいなくなって困っていないかの調査をしたのでしょうか。
メディア学科だけでなく、学内全体でこの裁判について触れづらい空気があるのも自身の経験も踏まえて事実であると思います。
私は2015年度、私の指導教授の講義のスチューデント・アシスタント(SA、授業の補助をする学部生)を務めていました。私が原告の裁判の支援を始めたころの2015年6月ごろ、私の大変尊敬する指導教授は、「浅野先生の政治的主張が妥当であるのもわかるし、『犯罪報道の犯罪』が優れた本であることもわかる。ただ浅野先生と法人との訴訟中であるからかかわらないほうがよい」と直接言われてしまい、原告の支援に関して否定的な姿勢を示されました。
この指導教授は学内で最もリベラルな教授として知られ、学内の安保法制反対運動の中心的役割を果たしていた教授です。指導教授は自分とスタンスの違う学生からゼミの時間中ゼミの専攻と全く違う話にふられて議論になった時にも、ちゃんと対応される温厚な先生で深く敬意を抱いていたので上述の発言には驚きました。指導教授は「学部、学科・専攻の自治に介入できない」という立場ですが、大学の教育研究の自治は、教授個人(研究室)の教育研究の自治によって成り立っているのではないでしょうか。「学部、学科・専攻」の自治が、個々の教授の自治を侵害していいということではないと思います。私は、指導教授の助言・指摘は自身の意見とは異なるので、教授には内密に(上述したように指導教授は大変温厚な方なので仮に露見してもそれほど怒られないと思いつつ)原告の支援を止めず、今も続けています。
またつい最近まで同志社法学部教授であったある教授は、原告の定年延長問題を知り、原告の身を案じていらっしゃいました。この教授にも私はサークルの講演会の告知に協力していただいたり、カンパをいただいたりしていて、個人的にお世話になっていました。非常に学生に対して寛容な方でした。この教授は原告と直接面識がなかったこともあり、公の場で、原告の支援をすることは控えておられました。
上述のように大変学生に寛容で面倒見の良い先生方までがこの裁判に関して触れるのを躊躇しているのは、それだけ被告学校法人同志社が原告を支援できないような雰囲気を学内で醸成しているからに違いありません。
ただし学内の教授陣が原告を同志社と無縁な人物として認識してはいません。
同志社大学では村田晃嗣学長が昨年7月13日に国会衆院特別委員会中央公聴会において与党推薦の参考人として安保法案に肯定的な立場で意見を述べました。このことについて学内の教職員有志90人が反対声明を出しました(安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明)が、その声明の中でも原告は賛同人の一人として名を連ねています。
被告である学校法人同志社はともかく、現職の大学教員たちが原告を同志社の関係者として明確に認めているのです。昨年9月、教職員有志の後に出された、安保法案に安保法制に反対するネットワーク@同志社大学(通称アンパンネット)でも原告は名前を公開している39人の賛同人の一人になっています。
このようななかで今年度も昨年度に引き続き、裁判の結果が出るまでの間、同志社大学に原告の嘱託講師(非常勤講師)の任用を求める署名を提出しています。今年度秋学期からの任用を求めるものと来年度春学期からの任用を求めるものの二種類を提出しています。二種類あわせて現役のメディア学科生二名を含む150人を超える賛同をいただきました。また2016年度春学期からの原告の任用を求める要望書も2016年3月に提出しました。ここでも現役学生3名(当時)を含む約160名の賛同をいただきました。
高名なジャーナリストである徳富蘇峰が同志社で学んでいたさいに同志社の教育および授業方針をめぐってストライキまでに発展したことがありました。新島襄は蘇峰をはじめとしたストライキをした学生を処罰することはせず、この騒動の責任は自身の不徳のいたすところであったとして自身を鞭打ち、解決をはかりました。
被告学校法人同志社は原告のために定年延長を懇願し署名活動までしたゼミ生の声を無視し、原告が定年延長が拒否された後も続けられた授業開講の要望を無視し続け、学則改正までして原告が担当してきた科目のほとんどを廃止とするなどして原告の邪魔をしました。ごみ処理不正までおこない、法学部を抱える総合大学にもかかわらず、コンプライアンスの重要さもわからない法人としてマスコミ報道を通じて広く世間に知れ渡ってしまいました。在学生は大顰蹙でした。被告学校法人同志社はなによりもまず猛省してほしいと思います。現在のような被告学校法人同志社と「志」を「同」じくすることはできません。
裁判所にはなにとぞ原告と学生のためになる公正な判断を求めます。 〕

現在はさらに劣化した同大メディア学科

以上、引用した二人の元学生の裁判所への陳述書は、渡辺グループに乗っ取られた同大メディア学科の実態を明らかにしています。私は、メディア学科で真剣に学問を学ぼうとしていた学生たちを支援しました。私が追放されて4年8カ月が経ち、メディア学科の教育研究環境はさらに劣化、悪化していると思います。

私の追放策動が発覚した2013年10月29日、2年生ゼミの3人が研究室を訪れ、「私たちが小黒先生のことで社会学部のクレームコミッティ(学部長と主任で構成)に申し立てたことが、先生の定年延長妨害の原因になったのはないか」と言いました。3人は、自分たちが13年8月に小黒氏の不正行為(犯罪に近い)を大学当局に告発したことが原因で、私が攻撃を受けているのではと心配してくれたのです。

二人の陳述書にあるように、3人は8月23日、小黒純教授が2013年春期講義中にフリスビーと硬式テニスボールの受講生に向かって投げたことについて同志社大学クレームコミッティへ訴えていました。クレームコミッティは密室の会議で、13年10月1日に3人の申立を却下する不当な決定をしています。小黒氏もメンバーである会議体で、まともな調査ができるはずがありません。お手盛りの決定です。

社会学事務室の職員は学生代表を呼び出し、この決定文を手渡しています。決定文書は授業担当者への調査の結果、「授業担当者から、教員の言動や行動に対する受け止め方は学生によって異なることを十分に理解して、受講生への言動に配慮しながら、授業運営を心掛けていく旨の回答を得ました」としか書いていません。

小黒教授ら4人が作成したとみられる「10・30配布文書」(私の定年延長に反対する理由を書き連ねたヘイト文書)では、私の「言動」について、「受け止め方は学生によって異なる」ことなど全く配慮せずに、不適切と断定しているのと好対照です。学生たちは、「とても納得できない。クレームコミッティは機能していない」と言っていました。また、私が指導していた院生に対し、冨田科長らは自宅にまで手紙を2回も郵送していますが、この件では、学生を呼び出して封筒に入れた文書を手渡しています。

小黒教授は講義に出向く際、フリスビーと硬式テニスボールをカバンの中に入れています。他の大学や高校・中学でこんなことをする教諭がいたら、懲戒処分を受けるのは必至でしょう。学生が教壇の教授にフリスビーやテニスボールを投げたらどうなるでしょうか。

小黒教授が投げたボールが筆箱に当たり、顔を軽く怪我した受講生がいると聞いています。

ここでは省きますが、渡辺教授グループが専攻・学科を支配して以降の、メディア学科の教員の退廃ぶりに、私は呆れています。社会学部の中で新入生合宿がないのはメディア学科だけです。教員たちが授業を火曜から木曜に集中しているため、授業の重なりも多くなっています。「他大学で非常勤をしている」「金曜は東京で仕事がある」などの理由で、月曜と金曜日に出講していません。あまりにも無責任です。

学内のカウンセリング室に一番多く相談に行くのがメディア学科の学生です。目標を見失い、何をやっているか分からなくなったという学生が少なくありません。

3人のうちの1人の学生は13年12月4日に、「3年生の時には浅野ゼミに入って新聞記者を目指したい」と書いたメールを送ってきました。

[ 先生とお話できて、先生に絆の強い多くの支援者の方々が集まる理由がわかった気がします。私の個人的な意見を聞いていただけて、とても満足しています。ぜひ先生には同志社に残っていただきたいです。そのために個人の意志で浅野先生のご支援をさせていただきたいと思います。一緒に頑張りましょう。先生が私の意志をくみ取ってくださって、とてもうれしいです。信頼する浅野先生のもとで今後も勉強させていただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 インドネシア合宿後、自分のふがいなさに危機感を感じ、しばらくは一人で自分の今後について考えていました。
今なら、浅野先生のもとで過密なスケジュールもこなせるのではないかと思います。これから新たに始めたいと思いますので、先生を頼ることになってしまい申し訳ありませんが、マスコミ関係の方をご紹介願えませんでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。 ]

13年12月5日は、大学へ提出する意見書も書いてくれました。その時のメールです。

< 浅野先生はとても優秀な先生です。先生を慕っている学生が多くいますし、私も高校生のときから新聞学原論の授業を受けることをとても楽しみにしていました。先生の授業で将来が変わる学生がいるかもしれません。それほど先生の授業や発信する内容は質が高く、他の先生では補えないものがあります。自分の言葉で先生の雇用延長に関する意見書を書きました。どうぞお使いください。> 

この学生は13年8月末、大学の短期留学奨学金を使って実施したインドネシア調査に参加した12人の一人ですが、私の雇用問題について深刻に悩んでいました。

彼女は15年4月から4年生になり、同年秋に大手新聞社から内定をもらいました。私は彼女にお祝いのメールを送りました。

< A新聞に入ったインドネシア・ツアーの仲間、Tさんから、〇〇さんがB新聞社に内定したと聞きました。よかったですね。私の元ゼミ生でB新聞社へ入社するのは初めてです。難関突破おめでとうございます。〇〇さんは大手メディアに入れる、と思っていました。(略)
今日は自主ゼミを寒梅館でしました。
これからも数回は行いますので、卒業前に一度でも来てください。支援会のHPに浅野科目の開講を求める署名運動が行われています。
よろしければ賛同ください。http://www.support-asano.net/docs/yobikake.html
残り少ない大学生生活、楽しんでください。>

彼女は15年11月4日に次のようなメールを私に送ってくれました。

< 浅野健一先生
  ご無沙汰しております。同志社大学社会学部メディア学科4年の〇〇△△です。就活のご報告が遅れてしまい申し訳ありません。
新聞社から内定をいただけたのも、1、2年のときに浅野先生や浅野ゼミの先輩方からご指導いただいたおかげです。誠にありがとうございました。
(略)
今後とも精進して参ります。>

私が同大の教壇から追放されてから間もなく5年です。私が最後に担当した13年度・1年次ゼミの22人のうち3人がメディアへ就職しました。私は彼や彼女らを自主ゼミなどで指導しました。

1年ゼミのゼミ長だったKさん(3・4年は小黒教授のゼミ)は毎日新聞記者に、ゼミの共同研究委員長(研究テーマは「東京五輪決定とメディア」)を務めていたSさん(3・4年は伊藤高史教授=前創価大学教授、私の補充人件で15年4月赴任=のゼミ)は私が勤めた共同通信記者になりました。副ゼミ長のIさんは読売新聞(大阪本社)記者になっています。他にもマスメディア関係に就職した元ゼミ生が数人います。

彼や彼女たちは「先生が解雇されたあと3年間も浅野ゼミにいたかった。先生の指導を受けたのは1年だけだったが、先生に師事したことで、多くのジャーナリストに出会うことができ、記者になれます。先生の教え子の一員として、しっかりとジャーナリストとしての責務を果たしてまいります」「入学して浅野先生のゼミに入って多くのことに出会って、今回の自分の夢に繋がっています。本当に『縁』ですね」「先生が自主ゼミなどで非公式に指導してくれたおかげで内定が取れた」などと言ってくれています。

13年度2年ゼミの共同研究委員長のTさんは神戸大学大学院へ進む社会学を専攻し、現在はメーカーで働いています。

Kさんは私が完全追放された後、14年度の2年ゼミ(必修科目)の履修をボイコットしました。本人は「履修届を出すのを忘れた」と周囲に言っていたようですが、メディア学科の窓口(他大学の学科長に当たる)も社会学部事務室の教務職員もKさんに履修漏れを指摘しなかったそうです。学生が必修科目の履修登録をしていない場合、通常はその学生に連絡が行きます。私を敵視して追い出したメディア学科の教員6人(大学院任用教授5人と河﨑吉紀准教授=当時は学部だけの任用)は、Kさんがゼミをとらなかった理由を知っているから、放置したのでしょう。Kさんに理由を聞いて、「浅野先生がいないので取るゼミがない」と言われたら困ったからです。冨田社会学部長と学科の教員6人が学生のことを全く考えていないことがこれで分かります。

当時1年生で他の教員のゼミに所属し、2年次から浅野ゼミを希望していた学生(1年間休学したため18年3月卒業)のKさんは17年12月初め、「浅野先生がいなくなってから、ジャーナリズム論をきちんと教える教員がいなくなった。学科の教育の質がどんどん下がっていると思う。ゼミは部活やバイトで疲れた時の“癒しの場”だという小黒教授や、自分の研究第一で学生の指導は適当にしかしない池田教授など退廃の極みだ。真面目に勉強する学生も減り、学科の入試の難易度も下がっている」と嘆いていました。また別の4年生は「新任の先生(広告論)から、浅野先生はゼミの学生と非常にうまくやっていて、ゼミのメンバーの仲もよく実績を上げていたと聞いているが、先生はどういうふうにゼミを運営していたのかと、聞かれた」と話しました。

同大の現役学生と卒業生らは同大学長と同志社理事長に、私の教壇復帰を求める要望書を計5回出しています。その中に、メディア学科の現役学生が8人います。そのうち1人のTさん(13年度に2年ゼミ)はKさん(17年卒業)と共に、13年12月末、京都司法記者クラブでの私の記者会見に同席してくれた学生ですが、Tさん16年4月、神戸大学大学院人文学研究科に入学し、ポーランドの大学へ交換留学生として派遣され、社会学修士号を取得しました。Tさんは「浅野先生がいなくなったこともあり、同大に見切りをつけて他大学を選んだ」と話しています。私がいれば、メディ学専攻の大学院生になったと私は思っています。

社会学研究科・社会学部のある同大新町キャンパスの正面入り口に「諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ」という創立者新島襄の言葉が刻まれています。冨田氏は、学生のことを第一に考えていません。いったい、何のために、誰のために、「裁判を覚悟」してまで、私の定年延長拒否を強行したのでしょうか。
一人一人を大切にしない同大メディア学科には行ってはいけません。

次回は、東京の住宅メーカーで講演するために「病欠」した佐伯順子教授について書きます。このずる休みは大学院生が告発しましたが、これも却下でした。(続く)